はいさーい!(こんにちは!)
沖縄の観光名所で現在再建中の首里城ですが、首里城誰が作ったのでしょうか?
また、首里城いつ建てられたのかについても、江戸時代ぐらいに建てられたのかなってレベルで、まったく知らなかったんです。
このように曖昧にしたまま日々過ごしていたんですが、首里城の正殿が燃え落ちたことをきっかけに首里城のことを知りたくなったんです。
首里城火災についてはこちらの記事から。
そして、首里城の歴史に特化した首里城歴史年表のようなものを書いて、頭の中を整理したくなりました。
おかげで、首里城が最初に建てられた時から首里城明け渡しまでの首里城歴史年表を書くことができました。
読み終える頃には、琉球の歴史にもきっと興味を持ち始めると思います。
首里城観光がさらに楽しくなるような基礎知識を一緒に学んでみませんか?
首里城の歴史に興味があるけど調べる時間がない読者にも、首里城観光を計画していて事前準備として歴史を把握しておきたい読者にも、読んでほしい内容になっていますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
また、観光に便利なおすすめホテルもご紹介しますので併せて参考にしてもらえると嬉しいです。
Google Mapでは、那覇空港から首里城へ、車移動を想定した経路と所要時間を示しています。
首里城誰が作った?
「首里城誰が作ったの?」この質問に答えられる読者はいるでしょうか?
まずはこちらの動画をご覧ください。
動画を見た直後「えっ、そうなの!?」って思わず言いたくなりました。
少なくとも「えっ」は、声に出てたんじゃないかな、って驚きましたよ。
首里城誰が作ったか?
その結論は、「現時点ではわかっていません」です。
確かに、首里城のパンフレットをみても、首里城誰が作ったかは明記されていません。
ですので、この動画の中で出てくる有力説3つに絞って記載していきます。
- 有力説①・・・舜天王(しゅんてんおう)以来の居城説
- 有力説②・・・察度王(さっとおう)の時代につくられた説
- 有力説③・・・尚巴志(しょうはっし)が建てた説
首里城誰が作ったか?1人ずつ解説しますね。
「舜天王(しゅんてんおう)」は、琉球最初の王といわれています。
尚巴志によって琉球王国が成立するもっと前の人物。
首里城がある那覇に隣接する浦添で、浦添三代王統最初にあたる舜天王統を約70年間築く。
「察度王(さっとおう)」は、琉球で初めて朝貢貿易をし、沖縄の礎を築いた王といわれています。
浦添三代王統最後にあたる察度王統を、息子と約60年築く。
のちに琉球王国を築く尚巴志によって1406年に滅ぼされてしまいます。
「尚巴志(しょうはっし)」は、三山(中山、南山、北山)を統一し、乱世に終止符を打った人物。
このあと約450年間続く琉球王国を成立させ、首里城を王城と定めた。
結局、首里城誰が作ったのか、本記事では「現時点ではわかっていない」としていますが、引き続き情報収集に努めようと思います。
そうすると、私自身も首里城観光をもっと楽しめるような気がしますし、何より読者にも喜んでもらえたら嬉しいですね。
首里城いつ建てられた?
首里城いつ建てられたかについても、はっきりとわかっていません。
首里城パンフレットにも首里城いつ建てられたかについて、明記されていないんですよ。
1427年に建立された、「安国山樹花木之記碑(あんこくざんじゅかぼくのきひ)」は、現存する最古の石碑といわれており、そこには、「尚巴志の指示により、人口の池(龍潭)を掘り、周囲に木や花を植え、整備させた」と記されているそうです。
このことから、首里城は遅くとも1427年には存在していたようですが、尚巴志によって首里城は建てられたと記されておらず、建てられた時期については今後解明されていくことになるでしょう。
また、1477年から50年間在位した尚真王(第二尚氏王統 第3代 )は、琉球王国の黄金期を築き上げた人物で、この尚真王の時代に、首里城など(※)の整備や拡張が行われたそうです。
(※)・・・円覚寺、円覚池、玉陵、園比屋武御嶽石門
つまり、焼失前の首里城正殿、北殿、南殿などが最初から建てられたいたわけではなく、徐々に整備・拡大されていったということなんですね。
でも、不思議ですね。
焼失前の首里城を思い出すと、統一感があるように感じました。
少しずつ拡大されたっていわれると、後付け感は否めないと思うんです。
もしかすると去る大戦のあと、復元した時に統一感を出すようにしたのかなって思いました。
ますます、首里城観光を楽しめるように勉強したくなってきました。
参考までに、首里城火災何回目?についてはこちらの記事から。
首里城歴史年表について
ここでは、尚氏王統を中心とした首里城歴史年表を紹介します。
少し紹介すると、琉球王国成立に尽力した尚巴志は2代目であり、初代は父親だったんです。
他にも、途中でクーデターがあって政権を奪われたりと、歴史を紐解いていくと、首里城観光がもっと楽しくなること間違いありません。
西暦 | できごと | 補足 |
1406年 | ・尚巴志、中山王 武寧を倒す ・思紹を初代の王とし、第一尚氏王統始まる |
・武寧:察度王の息子 ・思紹:尚巴志の父 |
1422年 | ・尚巴志、 第2代として王に即位 | |
1427年 | ・龍潭(りゅうたん)を掘り、庭園を整備 | |
1429年 | ・尚巴志、三山を統一し「琉球王国」成立 | |
1440年 | ・尚忠、第3代として王に即位 | |
1445年 | ・尚思達、第4代として王に即位 | |
1450年 | ・尚金福、第5代として王に即位 | |
1453年 | ・王位継承争い「志魯(しろ)・布里(ふり)の乱」 | ・首里城が炎上し鍍金銀印など焼失 |
1454年 | ・尚泰久、第6代として王に即位 | |
1461年 | ・尚徳、第7代として王に即位 | |
1469年 | ・金丸(かなまる)によるクーデター、新王朝を開く ・金丸自身、尚円王(しょうえんおう)を名乗る |
・金丸は第一尚氏と血のつながりはない ・第二尚氏王統 始まる |
1477年 | ・尚宣威、第二尚氏 第2代として王に即位 ・尚真、第二尚氏 第3代として王に即位 |
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1501年 | ・王家の墓、玉陵(たまうどぅん)造営 | |
1522年 | ・真珠道(まだまみち)が整備される |
・海賊からの脅威に対する防衛 |
1527年 | ・尚清、第二尚氏 第4代として王に即位 |
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1528年 | ・侍賢門(のちの守礼門)、建立 |
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1544年 | ・真首里城東南側の城壁工事を始める |
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1546年 | ・東南の城壁を二重にして継世門(けいせいもん)を築く |
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1556年 | ・尚元、第二尚氏 第5代として王に即位 |
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1573年 | ・尚永、第二尚氏 第6代として王に即位 |
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1589年 | ・尚寧、第二尚氏 第7代として王に即位 |
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1609年 | ・薩摩の琉球侵攻 |
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1609年 | ・尚豊、第二尚氏 第8代として王に即位 |
・第二尚氏王統 後期 |
1641年 | ・尚賢、第二尚氏 第9代として王に即位 |
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1648年 | ・尚質、第二尚氏 第10代として王に即位 |
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1648年 | ・首里城炎上,正殿その他全焼 |
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1669年 | ・尚貞、第二尚氏 第11代として王に即位 |
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1709年 | ・首里城,再び炎上,正殿・北殿・南殿焼失 |
・大飢饉 |
1710年 | ・尚益、第二尚氏 第12代として王に即位 |
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1713年 | ・尚敬、第二尚氏 第13代として王に即位 |
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1752年 | ・尚穆、第二尚氏 第14代として王に即位 |
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1795年 | ・尚温、第二尚氏 第15代として王に即位 |
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1803年 | ・尚成、第二尚氏 第16代として王に即位 |
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1804年 | ・尚灝、第二尚氏 第17代として王に即位 |
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1835年 | ・尚育、第二尚氏 第18代として王に即位 |
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1848年 | ・尚泰、第二尚氏 第19代として王に即位 |
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1853年 | ・アメリカ海軍 ペリー、首里城訪問 |
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1872年 | ・琉球藩 設置 |
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1879年 | ・琉球藩廃止、首里城明け渡し |
・沖縄県誕生 |
約450年間分の首里城歴史年表をざっくりまとめてみました。
第一尚氏王統、第二尚氏王統に分かれていますが、それでも江戸時代(徳川幕府)より長いですよね。
それから、中国だったり、薩摩藩・徳川幕府だったり、さらにはアメリカから、はるばるペリーが訪問したり、この小さな島国に対して想いを馳せていたんじゃないかなって思います。
「首里城」周辺のおすすめホテル
首里城の周辺には、城下町の雰囲気を散策したり食べ歩きもできますよ。
首里城見学とあわせて、散策や食べ歩きを1日かけて計画してみるのもいいと思いますので、参考までに近くにあるホテルを紹介しますね。
ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城
この「ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城」は、世界遺産の首里城に最も近い場所に位置するアーバンリゾートホテルです。
このホテルの総合評価は「3.75」です。( 評価詳細は こちら>> )
また、「ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城」に宿泊するなら「楽パック」のプランが便利です。
交通費込みのお得なパックなので、旅行全体が格安で行けますよ。
スーパーホテル那覇・新都心
この「スーパーホテル那覇・新都心」は、最寄り駅「おもろまち駅」から歩いて約5分の場所に位置するホテルです。
このホテルの総合評価は「4.37」です。( 評価詳細は こちら>> )
また、「スーパーホテル那覇・新都心」に宿泊するなら「楽パック」のプランが便利です。
交通費込みのお得なパックなので、旅行全体が格安で行けますよ。
ノボテル沖縄那覇
この「ノボテル沖縄那覇」は、2018年に「ノボテル沖縄那覇」としてグランドオープンしました。
フランス語で「新しいホテル」を意味する「ノボテル」は、フランス発祥のアコーホテルズの上級ブランドのホテルチェーン。
日本国内では、ここ「ノボテル沖縄那覇」だけです。(2024年8月現在)
このホテルの総合評価は「4.48」です。( 評価詳細は こちら>> )
また、「ノボテル沖縄那覇」に宿泊するなら「楽パック」のプランが便利です。
交通費込みのお得なパックなので、旅行全体が格安で行けますよ。
このホテルの紹介記事はこちら>>
この記事のまとめ
この記事では、首里城誰が作った?、首里城いつ建てられた?を解説しました。
そして、現時点では「はっきりわかっていない」んでしたね。
そのため、首里城誰が作ったか、その有力説3人を紹介しました。
琉球初の王「舜天王(しゅんてんおう)」、沖縄の礎を築いといわれるた王「察度王(さっとおう)」、そして琉球を統一した王「尚巴志(しょうはっし)」。
石碑に残されたメッセージからひもといてみても、首里城と尚巴志が関係あることはわかったけど、尚巴志が〇〇年に建立とは明記されていないようですし、実際首里城を歩いて探しても見つからないでしょう。
首里城を整備・拡充したのは、第二尚氏王統 50年間も王として即位した尚真王といわれています。
尚真王や、第二尚氏王統については、ここで紹介した首里城歴史年表を読んでみてくださいね。
私個人、首里城は尚巴志によって建てられたと思ってましたが、実はそうじゃないかもしれないわけですよ。
三山(南山、中山、北山)統一前までさかのぼる必要があるかもしれません。
また外を見渡せば、朝貢貿易による中国、薩摩や江戸幕府と関係を築いてきたんですよね。
そんな琉球の歴史に魅せられて、首里城観光をもっと楽しみたい気持ちが強くなってきました。
それから、首里は観光エリア「那覇」にあります。
首里散策以外にも、那覇を中心に観光を計画中の読者や、レンタカーではなく、モノレールによる移動を検討中の読者は、首里城から比較的近い「「ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城」」と「「ノボテル沖縄那覇」」を、または、大型の商業施設や免税店が隣接する「おもろまち駅(注)」から、徒歩約4分の「「スーパーホテル那覇・新都心」」を、旅の拠点にしてみるのもいいでしょう。
(注)
首里城に近い駅は「首里駅」です。「首里駅」から「おもろまち駅」までの移動時間は8分です。
にふぇーでーびたん!!(ありがとうございました!!)
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